2010年2月19日金曜日
2010年2月16日火曜日
詩編38
テキストから、罪の意識、というサブタイトルで、丁寧に読んでみました。人は、不安や恐れといった苦しい心の状態にある時、どのように取り除くでしょうか。ダビデは、この38編の冒頭では、神からの懲らしめと受け取めていました。ところが、愚かさの結果である罪による苦しみが、自力では回復の望みを持てないことを告白します(9節)。そして、一切を神様に隠さず申し上げ、神様からの答えを期待するようになります。この編の中盤以降では、どうにかして神様からの応答を得ようとする信仰が見られます(15節)。最終的には、苦しみは、自分の罪のためであり、それを神様に告白し、神様に許していただく以外、救いはないことを明らかにします。
Ⅰヨハネ1:5~
神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。(中略)もし、神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩いているなら、私たちは、互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
2010年2月6日土曜日
2010年2月5日金曜日
主に信頼する者は守られる
(詩編32:10) 悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。
(箴言1:33) しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。
人は、何かしらを、礼拝する。お金・・学歴・・世の中からの評価・・健康・・若さ・・人並みの生活・・仕事・・容姿・・人間関係・・・しかし、それらをあがめている限り、真の平安はない。いずれ衰え、いくらでも失う可能性のあるものに対して、一時的に抱え込んで大丈夫だと思っていても、背中合わせに、失ってしまったらという恐れを抱えこんでしまう。全知全能なる聖書の神様は、反抗する私たちに、正しい安全な道へ来なさいと、今日も手をさしのべてくださる。
2010年2月2日火曜日
主の懲らしめ
(黙示録3:19)
わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
(へブル12:5~8)
「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生児であって、ほんとうの子ではないのです。
見捨てられてないからこそ、厳しくこらしめられる。感謝と希望をいつも覚えていられますように。