2010年4月25日日曜日
2010年4月11日日曜日
2010年3月23日火曜日
2010年2月19日金曜日
2010年2月16日火曜日
詩編38
テキストから、罪の意識、というサブタイトルで、丁寧に読んでみました。人は、不安や恐れといった苦しい心の状態にある時、どのように取り除くでしょうか。ダビデは、この38編の冒頭では、神からの懲らしめと受け取めていました。ところが、愚かさの結果である罪による苦しみが、自力では回復の望みを持てないことを告白します(9節)。そして、一切を神様に隠さず申し上げ、神様からの答えを期待するようになります。この編の中盤以降では、どうにかして神様からの応答を得ようとする信仰が見られます(15節)。最終的には、苦しみは、自分の罪のためであり、それを神様に告白し、神様に許していただく以外、救いはないことを明らかにします。
Ⅰヨハネ1:5~
神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。(中略)もし、神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩いているなら、私たちは、互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
2010年2月6日土曜日
2010年2月5日金曜日
主に信頼する者は守られる
(詩編32:10) 悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。
(箴言1:33) しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。
人は、何かしらを、礼拝する。お金・・学歴・・世の中からの評価・・健康・・若さ・・人並みの生活・・仕事・・容姿・・人間関係・・・しかし、それらをあがめている限り、真の平安はない。いずれ衰え、いくらでも失う可能性のあるものに対して、一時的に抱え込んで大丈夫だと思っていても、背中合わせに、失ってしまったらという恐れを抱えこんでしまう。全知全能なる聖書の神様は、反抗する私たちに、正しい安全な道へ来なさいと、今日も手をさしのべてくださる。
2010年2月2日火曜日
主の懲らしめ
(黙示録3:19)
わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
(へブル12:5~8)
「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生児であって、ほんとうの子ではないのです。
見捨てられてないからこそ、厳しくこらしめられる。感謝と希望をいつも覚えていられますように。
2010年1月30日土曜日
2010年1月27日水曜日
2010年1月26日火曜日
御前にきよく
申命記33:12~
「主に愛されている者。
彼は安らかに、主のそばに住まい、
主はいつまでも彼をかばう。
彼が主の肩の間に住むかのように。」
主に愛されている・・これ以上の幸せはないと思います。では、どうしたら、主に愛されるのだろう?ひとつの答えとして・・・
詩編19:13
~そうすれば、私は全き者となり、
大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。
私の口のことばと、私の心の思いとが、
御前に受け入れられますように。
この「そうすれば」の前は・・
~どうか、隠れている罪をお赦しください。
あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。
それらが私を支配しませんように。
「傲慢」「高慢」な心は、神様がとても嫌がられるもの。パリサイ人の、高ぶった祈りを退けられ、自分の弱さ、みじめさ、罪深さを認め、寄りすがる取税人の祈りを義とお認めになりました。(ルカ18:10~
マタイ23:25 忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放銃でいっぱいです。目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。
私の口のことばと私の心の思いとが、御前に受け入れられますように。(詩編19:14)
2010年1月23日土曜日
いつも心を守りましょう
創世記 39章7節(創世記40章)
順調なとき(と言っても奴隷ではありましたが・・・)に、罠が仕掛けられました。それが今日の箇所です。ポティファルの妻が迫ってきたのです。
私たちは、順調なときも、そうでないときもいつも心を守る必要があります。たとえ自分の失敗ではなく、誰かのミスや誰かからの攻撃であったとしても、怒ったり、誘惑に負けたりせずに自分の心を守りましょう。そして神様に目を向け、神様と共に歩みましょう。「何でですか?」と神様に叫びたいときも、心を変え、「こんな状況でも、神様が共にいてくださることを感謝します。」と言える者になりたいです。(デボーションガイドより)