しっとやねたみ、憎しみや怒りに支配されるのではなく、
主の御心を祈る者でありますように。
あなたが素晴らしい平安と解放をくださることを知っていますから、
誰のためにも祈ることのできる、
素直できれいな心でいさせてください。
人間は、とりあえず何かとつながっていたい存在なのだと聞いたことがある。
友達なり、家族なり、コミュニティがあることは、人に安定をもたらすだろう。
だけど生身の人間どうしだから永遠につながっていられるわけじゃない。
だから、神様は、私のところにきなさいっておっしゃって下さるわけ。
ほかでもない、私を礼拝しなさいと。
神様の前に生きているじぶんが、本当の自分なんだ。
賛美をしている時も、
勉強している時も、
掃除をしている時も、
電話で誰かと話している時も、
買い物をしている時も、
神様の前にいる自分が、本当の自分なんだ。
間違いに気づいて素直に謝ったら、赦してくださる憐れみ深い偉大な方の前に、
誠実に生きる魂の自由を、私たちは今日も与えられている。
だから、
大きな声を出す必要もないし、
不満に思う必要もない。
本当の自分でいるわけだから、いちばん居心地がいい。
そこにいてくれるだけが、何とありがたいことか。
ふだん、不満に感じてしまうような態度であっても、
たとえば、なんとなく不機嫌でつまらない様子、
陰気くさいつまらない様子、
きちんとしてなくて、だらしのないようすだとか、
もっとこうすればいいのにな!とか
そんな、ついつまんなに気持ちになってしまう様子であっても、
ただ居てくれるってこと自体が、なんて・・・なんて・・・ありがたいことなんだろう!!
涙が出るほど、大好きだよーーーーーーーーーーーーー!!!
って、私はただ、ただ、伝えたい。
伝えるだけのことなんだなと改めて思った次第であります。
ああなればいい、
こうなればいい、
こうするべき、
ああなるべき、
この自分中心な感覚が、どれだけ相手を傷つけてしまうか。
そのまんまでいてほしいな。
そのまんまでいてほしいな。
毎日が、なんて、なんて、平和で素敵なことだろう!!