2011年10月10日月曜日

喜びの習慣を身につける

私達は,神様のみことばを,主の救いを,幼子のように信じることを求められています。

幼子は,お父さんお母さんの言うことを,素直に「そうなんだ!」と受入れてくれます。

うちの息子は,母の教えを本当によく信頼したものです。

それはひたむきに,お母さんのあとを一生懸命ついてきて,母は本当に愛おしく思ったものです。

私たちクリスチャンも,神様のおっしゃることに,「そうなんだ!」と信頼し喜ぶことが求められています。

 

ローマ8

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、

神がすべてのことを働かせて益としてくださる

 

このみことばも,心から信頼し,大喜びすることが,毎日毎日,求められています。

2011年10月6日木曜日

ダニエル10:19

「恐れることはない。愛されている者よ。

平和を取り戻し,しっかりしなさい。」

2011年9月12日月曜日

十字架の贖い

旧約を知り,神様のおきてを知る。

新約を知り,神様のめぐみを思う。

スポルジョンの6月の夕説教を読みながら,

イエス様が,この私を,敵の火矢から,

そのすべてをなげうって守ってくださっているのがまざまざと脳裏に浮かんだ。

 

「十字架の贖い,それだけで,もう充分だと思いました。」ソノさんの言葉,

毎日毎日,子供の頃から聞こえてくる,私を責める声・・

律法であれば私は,確かに責められてなぶられて痛めつけられるべき存在。

イエスさまが,この私のために。

誰も私を責めることはできない。

誰も私をとがめることはできない。

圧倒的な勝利者であられる主が,私をよしとしてくださったのだから。

神様だけのためにこの心を,この身体を使っていくべき理由がここにある。

平安でいられる。

幸福でいられる。

主の前にふさわしい者として大手をふって歩ける。

このことを,神様のために伝えていきたい。

彼のおかげ

彼のおかげで,グリーンなんて色に目が向くようになった。

彼のおかげで,料理のレパートリーが増えた。

彼のおかげで毎年すてきな年賀状を作ることができた。

彼のおかげで,PC環境がより充実してきた。

彼のおかげで,たくさんの笑顔をもらった。

彼のおかげでたくさんの人とのつながりができた。

彼のおかげで,自分の弱さを見せつけられて,

いろんな物の考え方を広げることができて

イエスさまの十字架のあがないを知った。

 

彼は,私のだいじな息子。

神様,この子をありがとうございます。

大切に育てることができますように,いつも助けてください。

2011年9月5日月曜日

いのちのおきてに従って

エゼキエル33:11~

わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって,悪者がその態度を悔い改めて

生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。

イスラエルの家よ。なぜあなたがたは死のうとするのか。

~正しい人でも,罪を犯すとき,彼は自分の正しさによって生きることはできない。

その悪者が質物を返し,かすめた物を償い,不正をせず,

いのちのおきてに従って歩むなら,彼は必ずいき,死ぬことはない。

 

物心のつく頃から,自分を責める声に苦しんでいたように思う。

クリスチャンとして何年もいるのに,ふと主から離れていると,何日も何ヶ月も何年も苦しむ。

そして,大切な人を傷つけてしまう。

確かにわたしは責められるべきことをしでかした。

律法において,わたしは,最悪な罪人であり,どうしようもない。

今ある苦しみは,当然うけおってあまりあるべきひどい罪を侵し続けてきたのだから。

しかし,ひざを抱えうちひしがれて動けなくなるほどのこの苦しみは,もはや主の御旨でないことを知った時,

主の御声だけを聞くものになろうと改める。

私は,主の十字架の救いに心から感謝し受入れる。

主のめぐみをゆるしを,心から受入れ,そして信頼する。

たとえ,今の状況がどんなであろうと,そんなことはどうだっていい。

主がともにいてくださることを心から信頼し,感謝していくことを選び続ける。

この聖書箇所にある,いのちのおきてとは何だろう。

それは,私自身は,私のものではない,管理するのは私であっても,

私のすべては,主のものなのだ・・

主が質物を返せとおっしゃる,主がかすめた物を償えとおっしゃる,

そして,私自身が,主の御旨のままにお用いくださっていただけるような

柔らかい良い管であること,これが,いのちのおきてに従うことなんじゃないか・・

そこに,自分の思いで自分の都合で怒ったり,不平に感じたりする必要がありえない。

自由に主に用いていただくことこそ,いのちのおきて。

2011年7月7日木曜日

解放

エレミヤ

主が、2度とへぶる人の奴隷を請け負ってはいけないと言われた。

私たちも、2度と、心に受けた束縛を、請け負ってはいけないのだと思った。

主は、立ち返る者の咎を赦し、新しく生きることを与えてくださる方。

不必要な荷物を引きずり続けていくのは、主の御心ではないのだ。

2011年6月3日金曜日

主の愛 イザヤ54:9,10

わたしは、ノアの洪水をもう地上に送らないと誓ったが、

そのように、あなたを怒らず、あなたを責めないとわたしは誓う。

たとい山々が移り、丘が動いても、

わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、

わたしの平和の契約は動かない。」と

あなたをあわれむ主は仰せられる。

愛されている

イザヤ 54:7~8

わたしはほんのしばらくの間、

あなたを見捨てたが、

大きなあわれみをもって、あなたを集める。

怒りがあふれて、ほんのしばらく、

わたしの顔をあなたから隠したが、

永遠に変わらぬ愛をもって、

あなたをあわれむ。」と

あなたを贖う主は仰せられる。

2011年3月3日木曜日

敵をみまちがうな!!

私たちの闘いは、罪との闘い。

罪へ誘う悪魔との闘い。

みことばに立つ闘い。

・・・マナの11月号を改めて読み返して力が湧いた。

そして、主の御旨のままに自分を生かす。

このことで、私は今日、勝利した思いでいます。

2011年2月28日月曜日

ニセ坊ちゃんに学び、短期集中型の受験勉強

ーとにかく問題を解く!わからない解き方を教わる!

とにかく、ワークを進め、つっかえた問題を繰り返す。

ふた月先の首都圏模試までのスケジュールを立てる。

とにかくやらなければ進まないのだから。

睡眠時間を配慮し、また楽しい毎日を配慮し、進める。

*合格時間割作戦を見る。

*ぴょんぴょんくだらないことで、大笑い

*自分も英検

*受験の枠をとっぱらう。必要な学びと初心にかえる。

*カリキュラムを自分で打ち込ませ、モチベーションアップ

(腕時計によるモチベーションは高かった。江藤先生の影響も◎)

2011年2月26日土曜日

明日の献立

ごはん 味噌汁(大根・人参・油揚げ)

目玉焼き ほうれんそう胡麻和え

バナナヨーグルト

 

ごはん 味噌汁(わかめ・ねぎ)

鶏肉と根菜の黑酢あえ

コールスロー(キャベツ・コーン)

いちご・デザート

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2011年1月18日火曜日

弱さの中で

身体の痛みで動けずに、弱かった時には、

実はその弱さの中で、主が強く働いてくださっていたこと、それがよくわかりました。

高額な乗り物に乗り、好きな洋服を買い、おいしい食事をいただき、

心地よい時間を過ごし味わい楽しみ・・いつしか「わたし」が強くなってしまったのです。

そこにはおむ、キリストの力はほとんどなかったのでしょう。

わたしは、今またこうなって思ったのです。

わたしは、弱いです。

何もかも不器用で何一つうまくいかずに、頭を抱えて動けなくなってしまう弱い者です。

隣人をおろか、息子さえも愛することができなくなったり

ねたんだり、恨んだり、怒ったり、本当にみじめな者です。

神さまの助けなしには、一日たりとも起きていられない弱い弱い者です。

が、そこに、神様の働いてくださることをお迎えするならば、きっと起きていられるんです。

それは、わたしは、すべてキリストの者です。と宣言することによってです。

わたしは、すべてキリストの者です。

わたしは、すべて神様の愛の器です。

この足も、手も、目も、声も、賜物も、思考も、

そして、隣人も、すべてすべてキリストのものであり、神様の愛の器に貸し与えられている、大切な道具です。

わたしを完全に明け渡し、神様に自由に用いてもらうべき道具です。

そこにどうして、周りの人を愛せないと困惑するでしょう。

恐れや焦りに惑わされ、どうして私が何とかしなければと、自分で強くなろうとするのでしょう。

わたしは弱い。わたしはからっぽであり、そこに神様が働いてくださることで

まわりの人も神様を見、本当の平安を知るのではないでしょうか。

栄誉は誰のために サムエルⅠ31:4

サウル王は敵に追われ、「もはやこれまで」という状況にいました。この時サウル王は、主に助けを求めることもなく、自分の力で自分の栄誉の死を考えていました。「あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。」と、神様を知らない者に殺されることを拒否し、自殺に至りました。最後の最後でサウル王は、神様を知っている者として死のうとしました。この死は名誉な死に方でしょうか。

イエス様はどの様な死を向かえたのでしょうか。イエス様は、神様の前にへりくだり、天の父なる神様のみこころを優先しました。自分の思いではなく、神様にゆだねました。また、良い牧者として、御自分の民である私たちのためにいのちをお捨てになりました。イエス様は、自分が栄光を受けるためではなく、天の父である神様が栄光を受け、私たちが命を得るために死なれました。だから、イエス様は復活され、栄光を受けたのです。

イエス様は私たちにいのちを与えるために生き、いのちを捨てました。サウル王は自分のプライドのために生き、いのちを捨てました。私たちは何のために生き、何のために死ぬことができるでしょうか。

S教会デボガイドより