2011年1月18日火曜日

栄誉は誰のために サムエルⅠ31:4

サウル王は敵に追われ、「もはやこれまで」という状況にいました。この時サウル王は、主に助けを求めることもなく、自分の力で自分の栄誉の死を考えていました。「あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。」と、神様を知らない者に殺されることを拒否し、自殺に至りました。最後の最後でサウル王は、神様を知っている者として死のうとしました。この死は名誉な死に方でしょうか。

イエス様はどの様な死を向かえたのでしょうか。イエス様は、神様の前にへりくだり、天の父なる神様のみこころを優先しました。自分の思いではなく、神様にゆだねました。また、良い牧者として、御自分の民である私たちのためにいのちをお捨てになりました。イエス様は、自分が栄光を受けるためではなく、天の父である神様が栄光を受け、私たちが命を得るために死なれました。だから、イエス様は復活され、栄光を受けたのです。

イエス様は私たちにいのちを与えるために生き、いのちを捨てました。サウル王は自分のプライドのために生き、いのちを捨てました。私たちは何のために生き、何のために死ぬことができるでしょうか。

S教会デボガイドより

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