2012年4月24日火曜日

主の解放

しっとやねたみ、憎しみや怒りに支配されるのではなく、

主の御心を祈る者でありますように。

あなたが素晴らしい平安と解放をくださることを知っていますから、

誰のためにも祈ることのできる、

素直できれいな心でいさせてください。

2012年4月23日月曜日

本当に自分

人間は、とりあえず何かとつながっていたい存在なのだと聞いたことがある。

友達なり、家族なり、コミュニティがあることは、人に安定をもたらすだろう。

だけど生身の人間どうしだから永遠につながっていられるわけじゃない。

だから、神様は、私のところにきなさいっておっしゃって下さるわけ。
ほかでもない、私を礼拝しなさいと。

神様の前に生きているじぶんが、本当の自分なんだ。
賛美をしている時も、
勉強している時も、
掃除をしている時も、
電話で誰かと話している時も、
買い物をしている時も、
神様の前にいる自分が、本当の自分なんだ。

間違いに気づいて素直に謝ったら、赦してくださる憐れみ深い偉大な方の前に、

誠実に生きる魂の自由を、私たちは今日も与えられている。
だから、
大きな声を出す必要もないし、
不満に思う必要もない。
本当の自分でいるわけだから、いちばん居心地がいい。

2012年4月10日火曜日

そのまんまで

そこにいてくれるだけが、何とありがたいことか。

ふだん、不満に感じてしまうような態度であっても、

たとえば、なんとなく不機嫌でつまらない様子、

陰気くさいつまらない様子、

きちんとしてなくて、だらしのないようすだとか、

もっとこうすればいいのにな!とか

そんな、ついつまんなに気持ちになってしまう様子であっても、

ただ居てくれるってこと自体が、なんて・・・なんて・・・ありがたいことなんだろう!!

涙が出るほど、大好きだよーーーーーーーーーーーーー!!!

って、私はただ、ただ、伝えたい。

伝えるだけのことなんだなと改めて思った次第であります。

ああなればいい、

こうなればいい、

こうするべき、

ああなるべき、

この自分中心な感覚が、どれだけ相手を傷つけてしまうか。

そのまんまでいてほしいな。

そのまんまでいてほしいな。

毎日が、なんて、なんて、平和で素敵なことだろう!!

2012年3月13日火曜日

畑を借り・・・2012・3月中旬

3㎡ほどの畑を借りました。

とりあえず、男爵いもを育てようと思います。

①天地返し(シャベルで、一面、掘り返す→土がふかふかに)

②うねを作り、谷の部分に、3種の肥料をまく(たい肥、化学肥料、鶏ふん)

③たねいもを適当な大きさに切り、均等に置いていく

④置いたたね芋を、足でふみこみ、最後に土をふわっとかけておく

初めてだったので、土の保温や虫除けとなるマルチは、省いてみました。

できるだけまめに、雑草を抜きに行こうと思います。

頼もしい父↓10日ほどで芽が出るそうです。

imageimageimage

2011年10月10日月曜日

喜びの習慣を身につける

私達は,神様のみことばを,主の救いを,幼子のように信じることを求められています。

幼子は,お父さんお母さんの言うことを,素直に「そうなんだ!」と受入れてくれます。

うちの息子は,母の教えを本当によく信頼したものです。

それはひたむきに,お母さんのあとを一生懸命ついてきて,母は本当に愛おしく思ったものです。

私たちクリスチャンも,神様のおっしゃることに,「そうなんだ!」と信頼し喜ぶことが求められています。

 

ローマ8

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、

神がすべてのことを働かせて益としてくださる

 

このみことばも,心から信頼し,大喜びすることが,毎日毎日,求められています。

2011年10月6日木曜日

ダニエル10:19

「恐れることはない。愛されている者よ。

平和を取り戻し,しっかりしなさい。」

2011年9月12日月曜日

十字架の贖い

旧約を知り,神様のおきてを知る。

新約を知り,神様のめぐみを思う。

スポルジョンの6月の夕説教を読みながら,

イエス様が,この私を,敵の火矢から,

そのすべてをなげうって守ってくださっているのがまざまざと脳裏に浮かんだ。

 

「十字架の贖い,それだけで,もう充分だと思いました。」ソノさんの言葉,

毎日毎日,子供の頃から聞こえてくる,私を責める声・・

律法であれば私は,確かに責められてなぶられて痛めつけられるべき存在。

イエスさまが,この私のために。

誰も私を責めることはできない。

誰も私をとがめることはできない。

圧倒的な勝利者であられる主が,私をよしとしてくださったのだから。

神様だけのためにこの心を,この身体を使っていくべき理由がここにある。

平安でいられる。

幸福でいられる。

主の前にふさわしい者として大手をふって歩ける。

このことを,神様のために伝えていきたい。

彼のおかげ

彼のおかげで,グリーンなんて色に目が向くようになった。

彼のおかげで,料理のレパートリーが増えた。

彼のおかげで毎年すてきな年賀状を作ることができた。

彼のおかげで,PC環境がより充実してきた。

彼のおかげで,たくさんの笑顔をもらった。

彼のおかげでたくさんの人とのつながりができた。

彼のおかげで,自分の弱さを見せつけられて,

いろんな物の考え方を広げることができて

イエスさまの十字架のあがないを知った。

 

彼は,私のだいじな息子。

神様,この子をありがとうございます。

大切に育てることができますように,いつも助けてください。

2011年9月5日月曜日

いのちのおきてに従って

エゼキエル33:11~

わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって,悪者がその態度を悔い改めて

生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。

イスラエルの家よ。なぜあなたがたは死のうとするのか。

~正しい人でも,罪を犯すとき,彼は自分の正しさによって生きることはできない。

その悪者が質物を返し,かすめた物を償い,不正をせず,

いのちのおきてに従って歩むなら,彼は必ずいき,死ぬことはない。

 

物心のつく頃から,自分を責める声に苦しんでいたように思う。

クリスチャンとして何年もいるのに,ふと主から離れていると,何日も何ヶ月も何年も苦しむ。

そして,大切な人を傷つけてしまう。

確かにわたしは責められるべきことをしでかした。

律法において,わたしは,最悪な罪人であり,どうしようもない。

今ある苦しみは,当然うけおってあまりあるべきひどい罪を侵し続けてきたのだから。

しかし,ひざを抱えうちひしがれて動けなくなるほどのこの苦しみは,もはや主の御旨でないことを知った時,

主の御声だけを聞くものになろうと改める。

私は,主の十字架の救いに心から感謝し受入れる。

主のめぐみをゆるしを,心から受入れ,そして信頼する。

たとえ,今の状況がどんなであろうと,そんなことはどうだっていい。

主がともにいてくださることを心から信頼し,感謝していくことを選び続ける。

この聖書箇所にある,いのちのおきてとは何だろう。

それは,私自身は,私のものではない,管理するのは私であっても,

私のすべては,主のものなのだ・・

主が質物を返せとおっしゃる,主がかすめた物を償えとおっしゃる,

そして,私自身が,主の御旨のままにお用いくださっていただけるような

柔らかい良い管であること,これが,いのちのおきてに従うことなんじゃないか・・

そこに,自分の思いで自分の都合で怒ったり,不平に感じたりする必要がありえない。

自由に主に用いていただくことこそ,いのちのおきて。

2011年7月7日木曜日

解放

エレミヤ

主が、2度とへぶる人の奴隷を請け負ってはいけないと言われた。

私たちも、2度と、心に受けた束縛を、請け負ってはいけないのだと思った。

主は、立ち返る者の咎を赦し、新しく生きることを与えてくださる方。

不必要な荷物を引きずり続けていくのは、主の御心ではないのだ。

2011年6月3日金曜日

主の愛 イザヤ54:9,10

わたしは、ノアの洪水をもう地上に送らないと誓ったが、

そのように、あなたを怒らず、あなたを責めないとわたしは誓う。

たとい山々が移り、丘が動いても、

わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、

わたしの平和の契約は動かない。」と

あなたをあわれむ主は仰せられる。

愛されている

イザヤ 54:7~8

わたしはほんのしばらくの間、

あなたを見捨てたが、

大きなあわれみをもって、あなたを集める。

怒りがあふれて、ほんのしばらく、

わたしの顔をあなたから隠したが、

永遠に変わらぬ愛をもって、

あなたをあわれむ。」と

あなたを贖う主は仰せられる。

2011年3月3日木曜日

敵をみまちがうな!!

私たちの闘いは、罪との闘い。

罪へ誘う悪魔との闘い。

みことばに立つ闘い。

・・・マナの11月号を改めて読み返して力が湧いた。

そして、主の御旨のままに自分を生かす。

このことで、私は今日、勝利した思いでいます。

2011年2月28日月曜日

ニセ坊ちゃんに学び、短期集中型の受験勉強

ーとにかく問題を解く!わからない解き方を教わる!

とにかく、ワークを進め、つっかえた問題を繰り返す。

ふた月先の首都圏模試までのスケジュールを立てる。

とにかくやらなければ進まないのだから。

睡眠時間を配慮し、また楽しい毎日を配慮し、進める。

*合格時間割作戦を見る。

*ぴょんぴょんくだらないことで、大笑い

*自分も英検

*受験の枠をとっぱらう。必要な学びと初心にかえる。

*カリキュラムを自分で打ち込ませ、モチベーションアップ

(腕時計によるモチベーションは高かった。江藤先生の影響も◎)

2011年2月26日土曜日

明日の献立

ごはん 味噌汁(大根・人参・油揚げ)

目玉焼き ほうれんそう胡麻和え

バナナヨーグルト

 

ごはん 味噌汁(わかめ・ねぎ)

鶏肉と根菜の黑酢あえ

コールスロー(キャベツ・コーン)

いちご・デザート

http://weathernews.jp/blogparts/

2011年1月18日火曜日

弱さの中で

身体の痛みで動けずに、弱かった時には、

実はその弱さの中で、主が強く働いてくださっていたこと、それがよくわかりました。

高額な乗り物に乗り、好きな洋服を買い、おいしい食事をいただき、

心地よい時間を過ごし味わい楽しみ・・いつしか「わたし」が強くなってしまったのです。

そこにはおむ、キリストの力はほとんどなかったのでしょう。

わたしは、今またこうなって思ったのです。

わたしは、弱いです。

何もかも不器用で何一つうまくいかずに、頭を抱えて動けなくなってしまう弱い者です。

隣人をおろか、息子さえも愛することができなくなったり

ねたんだり、恨んだり、怒ったり、本当にみじめな者です。

神さまの助けなしには、一日たりとも起きていられない弱い弱い者です。

が、そこに、神様の働いてくださることをお迎えするならば、きっと起きていられるんです。

それは、わたしは、すべてキリストの者です。と宣言することによってです。

わたしは、すべてキリストの者です。

わたしは、すべて神様の愛の器です。

この足も、手も、目も、声も、賜物も、思考も、

そして、隣人も、すべてすべてキリストのものであり、神様の愛の器に貸し与えられている、大切な道具です。

わたしを完全に明け渡し、神様に自由に用いてもらうべき道具です。

そこにどうして、周りの人を愛せないと困惑するでしょう。

恐れや焦りに惑わされ、どうして私が何とかしなければと、自分で強くなろうとするのでしょう。

わたしは弱い。わたしはからっぽであり、そこに神様が働いてくださることで

まわりの人も神様を見、本当の平安を知るのではないでしょうか。

栄誉は誰のために サムエルⅠ31:4

サウル王は敵に追われ、「もはやこれまで」という状況にいました。この時サウル王は、主に助けを求めることもなく、自分の力で自分の栄誉の死を考えていました。「あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。」と、神様を知らない者に殺されることを拒否し、自殺に至りました。最後の最後でサウル王は、神様を知っている者として死のうとしました。この死は名誉な死に方でしょうか。

イエス様はどの様な死を向かえたのでしょうか。イエス様は、神様の前にへりくだり、天の父なる神様のみこころを優先しました。自分の思いではなく、神様にゆだねました。また、良い牧者として、御自分の民である私たちのためにいのちをお捨てになりました。イエス様は、自分が栄光を受けるためではなく、天の父である神様が栄光を受け、私たちが命を得るために死なれました。だから、イエス様は復活され、栄光を受けたのです。

イエス様は私たちにいのちを与えるために生き、いのちを捨てました。サウル王は自分のプライドのために生き、いのちを捨てました。私たちは何のために生き、何のために死ぬことができるでしょうか。

S教会デボガイドより

2010年4月25日日曜日

「神が私達の味方であるなら、誰が私達に敵対できるでしょう。」 ローマ 8:31 神は人生の全てを主権をもって支配しています。神は期待しなかった事や予想できなかった事の主です。 私達の時間も試練も主の御手の中にあります。 順境の時も逆境の時も私達のための主であり続けて下さいます。

2010年4月11日日曜日

主に信頼する

「あなたは私を多くの苦しみと悩みとに会わせましたが、私を再び生き返らせ再び私を引き上げて下さいます。」

あなたが私の偉大さを増し私を慰めて下さいますように。」

詩篇 71:20-21

感情の傷を持ち続けるか、回復して頂く為に神に信頼するかを私達は選べます。

神は傷を益に変えられるのです。

T教会メッセージより

2010年3月23日火曜日

焼き菓子の販売

教会内で、焼き菓子の販売を行いました。売り上げは、看板の修復費用への献金。素人たちによる製作でしたが、大量の菓子を焼き続け、仕上がった時は本当にほっとしました。すべて神様の御手の上に。

SN3J0186

ぶりと八宝菜弁当

ぶりと八宝菜弁当

2010年3月14日日曜日

2010年2月17日水曜日

2010年2月16日火曜日

詩編38

テキストから、罪の意識、というサブタイトルで、丁寧に読んでみました。人は、不安や恐れといった苦しい心の状態にある時、どのように取り除くでしょうか。ダビデは、この38編の冒頭では、神からの懲らしめと受け取めていました。ところが、愚かさの結果である罪による苦しみが、自力では回復の望みを持てないことを告白します(9節)。そして、一切を神様に隠さず申し上げ、神様からの答えを期待するようになります。この編の中盤以降では、どうにかして神様からの応答を得ようとする信仰が見られます(15節)。最終的には、苦しみは、自分の罪のためであり、それを神様に告白し、神様に許していただく以外、救いはないことを明らかにします。

 

Ⅰヨハネ1:5~

神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。(中略)もし、神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩いているなら、私たちは、互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。

2010年2月6日土曜日

(出エジプト15:26) わたしは、あなたをいやす者である。

 

♪リビングプレイズ175 あなたはわが神

あなたはー わが神ー、あなたはーわが主ー

みことば与えられー。わたしをいやす

すこやかにみちびくーおおいなる主よ

2010年2月5日金曜日

主に信頼する者は守られる

(詩編32:10) 悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。

(箴言1:33) しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。

 

人は、何かしらを、礼拝する。お金・・学歴・・世の中からの評価・・健康・・若さ・・人並みの生活・・仕事・・容姿・・人間関係・・・しかし、それらをあがめている限り、真の平安はない。いずれ衰え、いくらでも失う可能性のあるものに対して、一時的に抱え込んで大丈夫だと思っていても、背中合わせに、失ってしまったらという恐れを抱えこんでしまう。全知全能なる聖書の神様は、反抗する私たちに、正しい安全な道へ来なさいと、今日も手をさしのべてくださる。

2010年2月3日水曜日

2010年2月2日火曜日

主の懲らしめ

(黙示録3:19)

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。

(へブル12:5~8)

「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生児であって、ほんとうの子ではないのです。

見捨てられてないからこそ、厳しくこらしめられる。感謝と希望をいつも覚えていられますように。

 

2010年2月1日月曜日

鮭弁当

 

PAP_0203

  塩鮭、牛肉と里芋の煮物、

かぶのスープ煮、スナップえんどう、

ごましおごはん、はっさく

2010年1月31日日曜日

お弁当

PAP_0219

*  ハムカツ弁当*

ハムカツ、きんぴら、

中華炒め、ブロコリスプラウト

ごましおごはん、りんご

2010年1月27日水曜日

御前に価値あるもの

「柔和で穏やかな霊という朽ちる事のないものを持つ、心の中の隠れた人柄を飾りにしなさい。これこそ神の御前に価値あるものです。」Ⅰペテロ3:4

世の中は、外面をみますが、御前に価値のあるものだけが、永遠に残ります。時とともに消え去ってしまう世の中の価値に惑わされず、真に価値あるものを、いつも心がけていきたいと思います。

2010年1月26日火曜日

御前にきよく

申命記33:12~

「主に愛されている者。

彼は安らかに、主のそばに住まい、

主はいつまでも彼をかばう。

彼が主の肩の間に住むかのように。」

 

主に愛されている・・これ以上の幸せはないと思います。では、どうしたら、主に愛されるのだろう?ひとつの答えとして・・・

 

詩編19:13

~そうすれば、私は全き者となり、

大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。

私の口のことばと、私の心の思いとが、

御前に受け入れられますように。

 

この「そうすれば」の前は・・

~どうか、隠れている罪をお赦しください。

あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。

それらが私を支配しませんように。

 

「傲慢」「高慢」な心は、神様がとても嫌がられるもの。パリサイ人の、高ぶった祈りを退けられ、自分の弱さ、みじめさ、罪深さを認め、寄りすがる取税人の祈りを義とお認めになりました。(ルカ18:10~

マタイ23:25 忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放銃でいっぱいです。目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。

私の口のことばと私の心の思いとが、御前に受け入れられますように。(詩編19:14)

2010年1月23日土曜日

いつも心を守りましょう

創世記 39章7節(創世記40章)

順調なとき(と言っても奴隷ではありましたが・・・)に、罠が仕掛けられました。それが今日の箇所です。ポティファルの妻が迫ってきたのです。

私たちは、順調なときも、そうでないときもいつも心を守る必要があります。たとえ自分の失敗ではなく、誰かのミスや誰かからの攻撃であったとしても、怒ったり、誘惑に負けたりせずに自分の心を守りましょう。そして神様に目を向け、神様と共に歩みましょう。「何でですか?」と神様に叫びたいときも、心を変え、「こんな状況でも、神様が共にいてくださることを感謝します。」と言える者になりたいです。(デボーションガイドより)

赦しから平和へ

創世記44:33~

ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。あの子が私といっしょでなくて、どうして私は父のところへ帰れましょう。私の父に起こるわざわいを見たくありません。

かつて、父に溺愛されていたヨセフを、うりとばした張本人であるユダの言葉です。長い苦難の時の中で、ユダは、父が悲しむことを気遣い、ベニヤミンの身代わりを願い出るほど家族を愛する人に成長していました。(デボーションガイドより)

2010年1月22日金曜日

満喜子の心得

クリスチャンである満喜子の心得

*神様のみことばで、いつも心を満たしておく

*素直な心

主に委ねよ

 

きちんと話を聞いてくださる神様に、きちんと祈りをもって願いをお伝えし、

あとは、善なる神様にすべてお任せしましょう。

右にいこうと左にころぼうと、最終的に、神様のなさることに心から信頼する、その信頼感、信仰があることが、いちばん大切なのだから。

いつも、善なる神様の希望にあふれたみことばで、心をいっぱいに満たしていましょう。

 

google.co.jp

 

http://www.google.co.jp/

ブログ開設記念日

満喜子のブログを、開設しました。

クリスチャンである満喜子は、日々、みことばから神様の恵み、希望、光をいただき、皆様と分かち合いをできたらと思っております。