2011年9月12日月曜日

十字架の贖い

旧約を知り,神様のおきてを知る。

新約を知り,神様のめぐみを思う。

スポルジョンの6月の夕説教を読みながら,

イエス様が,この私を,敵の火矢から,

そのすべてをなげうって守ってくださっているのがまざまざと脳裏に浮かんだ。

 

「十字架の贖い,それだけで,もう充分だと思いました。」ソノさんの言葉,

毎日毎日,子供の頃から聞こえてくる,私を責める声・・

律法であれば私は,確かに責められてなぶられて痛めつけられるべき存在。

イエスさまが,この私のために。

誰も私を責めることはできない。

誰も私をとがめることはできない。

圧倒的な勝利者であられる主が,私をよしとしてくださったのだから。

神様だけのためにこの心を,この身体を使っていくべき理由がここにある。

平安でいられる。

幸福でいられる。

主の前にふさわしい者として大手をふって歩ける。

このことを,神様のために伝えていきたい。

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